- 昭和22年(1947)
第1回産業復興発明展
(現あいち少年少女創意くふう展) - 昭和29年(1954)
第1回全国優良機械展 - 昭和29年(1954)
名古屋テレビ塔の誕生 - 昭和31年(1956)
第1回名古屋商業感謝祭
(現な・ご・や商業フェスタ) - 昭和32年(1957)
地下鉄の開通 - 昭和34年~(1959~)
海外商工会議所との姉妹提携 - 昭和34年(1959)
伊勢湾台風と復旧対策本部の設置 - 昭和35年~(1960~)
経営改善普及事業の開始と支部の設置 - 昭和40年(1965)
名神高速道路の全線開通 - 昭和42年(1967)
白川町の会議所(現所屋)が完成 - 昭和52年(1977)
中華人民共和国展覧会 - 昭和56年(1981)
本所創立100周年記念事業 - 昭和60年(1985)
ワールドインポートフェア
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昭和33年(1958)
名古屋空港の整備・促進
始まりは「名古屋地方防空飛行場(小牧飛行場)」
昭和19年2月、名古屋市防衛のための航空基地として、旧陸軍が「名古屋地方防空飛行場(小牧飛行場)」を建設しました。これが、現在の県営名古屋空港の前身となります。
終戦後、米軍の管理下に置かれたものの、昭和27年には民間定期路線の乗り入れが認められ、日本航空が定期路線(東京-名古屋-大阪)の運航を開始しました。昭和32年2月には、小牧飛行場に観光施設・事務所等を収容するビルを建てるため会社を設立することとなり、地元自治体と経済界の出資により、名古屋空港ビルディング株式会社が設立されました。
「小牧飛行場」から「名古屋空港」へ
昭和33年9月、長らく統治していた米軍から正式に返還され、「小牧飛行場」は「名古屋空港」へ改称されました。その後の名古屋空港の整備促進の重要性に鑑み、県・市・会議所および関係諸団体などで組織する「名古屋空港協議会」を同年12月に設立、会長に佐々部晚穂本所会頭が就任し、事務所を本所に置くこととなりました。以後、整備促進や航空路線の拡充についての要望活動などを実施し、昭和42年4月には国際線ビルが竣工。名古屋空港は、名実共に中部圏の空の玄関口として、多大な貢献をしてきました。
昭和20年当時の小牧飛行場
(出典:飛翔 写真でみる名古屋空港のあゆみ)
昭和33年当時の小牧飛行場
(出典:飛翔 写真でみる名古屋空港のあゆみ)
観光名所となったターミナルビル送迎デッキ。創業当時、観光入場料収入は全体の4割以上を占めておりました
(出典:飛翔 写真でみる名古屋空港のあゆみ)