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大正14年(1925)
名古屋放送局の開局
東京・大阪に次ぎ、名古屋でも放送局がスタート
「ラジオ」が未だ「無線電話」と言われていた大正10年ごろから、新聞社を中心に「無線電話」を利用した放送事業の実験が始められていましたが、その事業を決定的に促進したのは、大正12年9月の関東大震災でした。非常時において状況を把握できないまどろっこしさから、「無線電話」は大いに期待され、普及の足を早める結果となりました。
無線電話の必要性を感じた神野金之助氏(後の本所会頭)は、いち早く名古屋無電放送株式会社の設立を出願。他にも2団体が出願していましたが、通信省の「株式会社ではなく社団法人で、東京・大阪・名古屋に1つずつ許可を」という方針により、大正13年12月に3社が合流し、社団法人名古屋放送局の設立願いを提出しました。大正14年1月に設立の許可がおりると、理事長に神野金之助、事務所を本所内に置き、"放送開始"を目指しました。
同年6月、局舎と鉄塔が中区南外堀町に落成し、事務所が移転。こうして、同年7月、「JOCK、名古屋放送局であります」という第一声とともに、放送がスタートしました。
開局式は本所で行なわれ、会場を埋めた300人を前に、神野理事長の祝辞や君が代の奏楽、上遠野富之助本所会頭の祝詞などが、ラジオを通じて伝えられました。
名古屋放送局
(写真提供:Network2010)
大正14年7月15日の新愛知新聞。開局式を迎えるにあたって、名古屋放送局は美々しく装飾を施しています