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明治44年(1911)
中央線の全線開通
早期実現に向けて結集した産業人95名
明治25年、「鉄道敷設法」が発布され、中央線は予定線に挙げられたものの、路線の決定・着工に至るまでには時間を要しておりました。
そこで、奥田正香本所会頭を中心とする産業人95名は、明治27年4月、名古屋-中津川間の民営鉄道・名古屋鉄道株式会社(現在の名古屋鉄道株式会社とは異なる)の設立を申請。最終的に民営鉄道の計画は却下されたものの、政府に対しては大きなインパクトを与え、中央線の建設計画は漸く動き始めました。
本所は、"動き始めた計画"をさらに促進するため、「中央線鉄道施設調査委員会」を設立し、早期着工を働きかけると同時に途中駅の誘致活動にも取り組みました。
悲願の“中央線全通”
明治27年、中央線の建設が帝国議会で決定された後、名古屋と八王子に鉄道局の出張所が設けられ、工事は東西両方から開始されました。
工事は、途中、日露戦争の影響によって一時中断を余儀なくされましたが、最大の難所といわれた木曽福島~宮の腰間が明治44年5月に完成し、着工以来15年の歳月を経て、念願の中央線は全通いたしました。
「中央線」の開通は、名古屋産業界の悲願であり、本所でも建設促進や途中駅の誘致に積極的に取り組んできました。中央線の開通から10日後には、松本商業会議所から30名の視察団が来名し、交流懇談会が開催されました。
中央線全通を伝える明治44年5月1日の扶桑新聞
開通を記念して設置された記念碑
(写真提供:探検コム)
明治33年頃の中央線勝川駅
(出典:東春日井郡誌)